取り敢えずは体慣らしと言う事で、聖達が選んだのは、船に乗って水上を進むアトラクションだった。 緩やかに進むそれはスリルこそ無いけれど、現実とは違うその場の雰囲気に浸るには最適だった。 「見て見て聖。あれ可愛い」 それを証拠に、いつもなら余りはしゃぐ事の無い蓉子が聖の袖口を掴んで興奮している。 (可愛い…うん。確かに可愛すぎるよ蓉子っ!) 「ちょっと聖、聞いてる?」 「うん勿論。ホント可愛いね」 蓉子が。 「あ、あっちも!見て!」 (あぁもう!蓉子ったら〜〜〜!) 夢の国で一カ所、邪な空気が漂っている事に誰も気付かぬまま、船は明かりの差し込む出口に向かって流れて行った。 「…何かさっき背筋がゾクッとしなかったか?」 「ふふふ。流石なつきやね。けどまぁ気のせいと言う事にしときましょ」 「はぁ!?何だそりゃ!」 「…知らぬが仏、いうやつどす」 「……な、何なんだ一体…」 前言撤回。邪なオーラは意外と強かった様だ。 ◆ 「次は何に乗ろうか?」 「なつきちゃん」 「静留、蓉子さんは何か乗りたいもの無いのか?」 「私アレに乗りたいな〜なつきちゃん」 「それとも早めの昼ご飯にでもするとか?」 「な・つ・き・ちゃん」 「あぁもう!!何ですかっ!」 「私アレ乗りたいなv」 言われるがままに聖の指さす方を見ると そこにはこのパーク最大の目玉でもあるジェットコースターがまさに今、頂上から下りに差し掛かっている所だった。 『きゃああぁぁぁ!』 けたたましく響く轟音の中なつきの耳に届く沢山の絶叫。 「…」 ごくりと言う音が聞こえてきそうなくらい、なつきは大きく生唾を飲み込んだ。 「流石にあれはパスやなぁ」 「私もあんなの乗れないわ」 早々にリタイアを宣告した静留と蓉子に便乗して“私も”となつきが口を開こうとした瞬間、にまりと口角を上げる聖。 「そかそか。何だかんだ言っても実は可愛い女の子ですもんね。あんなのなつきちゃんには無理か」 じゃあいいや、と聖は踵を返す。 がしっ! 「乗るぞ。とっとと乗るぞ!」 勢い良く掴まれた肩が笑って震えない様に聖はお腹に力を籠めながら返事をした。 ◆ 「……」 「……」 「……」 「……」 「ダメなら無理しなくてもい」 「うるさい」 聖となつきが二人で並びだしてから少し。 全く会話の無い空気に痺れを切らした聖が、緊張の余り顔を強ばらせているなつきに声をかけるも その殆どが一蹴されて終わるか、下手すれば返事すら無く散った。 半分諦めも含みつつ切り出したリタイアの案も、先程の様に即答された。 (乗る前からこんなんじゃ身がもたないぞなつきちゃん…) 聖は、今日初めて“これは流石に悪い事したかも”と心の中で謝罪した。 ◆ 「ほんまにあの子は…」 「ごめんなさい。聖が無理矢理…」 「あぁ。蓉子さんが謝る事無いよって」 二人がジェットコースター乗り場の列に姿を消してから少し。 ただ待ってるだけには一時間は些か長すぎると言う事で、静留と蓉子は近くのフードコートで一休みする事にした。 「負けず嫌い言うんやろか。ほんまに困った子ぉやろ?」 珍しく紅茶を飲みながら苦笑いを浮かべる静留。 「でも静留さんの為に頑張ってるって感じがするけれど?」 一方蓉子は常日頃から愛飲しているオレンジペコで喉を潤していた。 「……ほんま?」 「え?」 明るいトーンから一転、静留を取り巻く空気がずんと沈んだのが蓉子には解った。 「ほんまにそう見える?」 普段余り見る事の出来ない静留の表情に、最初こそ驚いたものの、蓉子は穏やかに笑って言葉を返す。 「ふふ。何言ってるのよ。それ以外に考えられないわね」 「何で?」 「だって見てれば解るもの。聖と張り合ってるのが丸解りじゃない。あれ静留さんに良いとこ見せたいからよ」 蓉子の予期せぬ言葉に静留はぽっと頬を染めて、照れ隠しに俯いた。 「…そうやろか」 「ええ。だからもっと自信持っていいと思うけど。尤も、あの二人の仲の良さには正直妬けるけどね」 「あは。確かに言えてますわ」 ここにいないのを良い事に、二人は世話のかかる恋人の愚痴に花を咲かせる。 お互い、自分の恋愛相談を出来る相手など数限られているだけに、心内を隠さず露呈できるのは嬉しかった。 「せやけど何やかんや言うても聖さんは蓉子さん一筋やと思いますえ?」 「そう思いたいけれど…あの人の場合は怪しいものね」 「何言うてますの。なつきにちょっかい出した後なんか、蓉子さんの方ちらちら見たりしてますえ?  ヤキモチ妬いて欲しいのと違います?」 「……知らないわ」 「あら。意外に鈍いんやねぇ」 「ちょっと。それを貴方に言われたく無いわ」 会話の内容には相反して、二人は実に楽しそうに笑った。 「さて、と。そろそろ迎えに行きましょうか。あの場にいないときっと拗ねるわ」 「せやね。きっとへそ曲げますやろな」 飲み干したカップを片付ける為に席を立つ。 「大変ね、お互い」 「ほんまに。せやけどこれが惚れた弱み、言うやつなんやろなぁ」 「本当にね」 二人は顔を見合わせると、再びまたくすくす笑ってフードコートを後にした。 ◆ 「一つ聞いてもいいかしら?」 「………どうぞ」 「なつきちゃんがああなっているのは兎も角として、何故貴方までそんなになってるのよ?」 静留の膝枕を借り、ベンチで横になるなつきから目を離し、蓉子は自分の目の前でぐったり萎えている聖に問いかけた。 「……死にかけたんです」 「そんなに怖かったの?」 「いや、もう怖いとかそんなんでは無くてね、本気で死ぬとこだったのよ」 「どういう事?」 ◆ 数分前。 「な、なに。落ちる事は絶対に無いし、死ぬ訳じゃあるまいし…こんなのヨユーだヨユー」 がたんっ! 「うぁっ!」 極度の緊張の為か、可笑しいくらい口数の増えたなつきに、心底罪悪感を抱く聖。 その表情はジェットコースターを純粋に楽しむ心を何処かに忘れてしまったかの様にどんよりしている。 勿論、既になつきをからかう事など忘れていた。 「……っ!!」 がたんがたんと、一瞬の頂点へ向かい、コースターは昇っていく。 「なつきちゃん、ごめんね」 「な?え??」 「そんなに怖いなんて思って無かったんだ」 「こ、こ、怖いなん……」 「だから、はい」 「……?」 「手、握っててあげるから。これで大分違うよ?」 「………」 いつもとは種類の違う、慈しみを帯びた笑み。 戸惑いながらも、なつきは その差し出された手を取った。 まさにその瞬間。 がたがたがた…っ 「ぇ!ぅあ!ちょっ!うあぁぁぁぁぁぁ!!」 昇りつめた頂点から、垂直を感じさせる急転直下。 轟音と共にあがる多数の悲鳴。 しかし同じ悲鳴とは言えど、明らかに種類の異なる声がそれに混じって轟いていた。 「あだだだだっ!!な、なつきちゃ…痛い痛いっ!!」 「あぁぁぁああああ!」 「あだだだだぁぁぁ!!!」 「……っっ!」 「いやぁ!だからダメ!そんなに握ったら折れるからっっ!!」 余りの痛さに涙ぐみながら、聖は勢いよくなつきの手を振り解いた。 「きゃぁっ!」 その反動でバランスを崩しかけたなつきは、とっさに代替の物を握り締める。 「ぐぇっ!」 手前の手摺りに掴まってくれれば良かったのに。 心底そう思った聖の思いも虚しく、なつきはそれをしっかり握ったまま絶叫していた。 「げはっ!な、なつきちゃ…流石にこれはダメっ……」 ◆ 「だからそんなにしわくちゃなのね、ストール」 「そうです。何かもう…窒息とかじゃなくて首ねじ切れるかと思った」 赤い跡の残る白い首筋を労るようにさすりながら、聖は事の顛末を話した。 「大体自業自得なのよ。なつきちゃんが嫌がってるの解ってて無理矢理乗せるんだもの」 それに対し、明らかに呆れた表情の蓉子。 その溜め息は思いのほか、深い。 「なつきちゃん可愛いからついからかいたくなっちゃうんだよなぁ…」 ちらりと意味深な目配せを蓉子に送る聖。 「そうね」 それを蓉子は飽くまで冷静に無視する。 「…蓉子可愛くないー」 「……大きなお世話よ」 火照る頬を隠すように蓉子は聖に背を向けた。 「なつき…大丈夫?」 「うん。すまない、もう平気だ」 ひょいと身体を起こしたなつきは、何やら気まずそうに頬を赤らめそう言った。 「そない怖いんやったら最初から無理やって言ったらええのに」 「……」 「なつき?」 「だって……悔しかったんだ」 「え?」 「…何でもない。行こう。蓉子さん達が待ってる」 「あ、ちょ、なつき」 何が悔しかったのか、どうして悔しかったのか、話す事さえもが悔しくて。 なつきはそんな惨めな思いを打ち消す様に静留の手を奪うと、蓉子達の元へと歩き出した。 -------------------------------------------------- 言い訳。 後でまとめてします。 >>次へ