アルタイ北部辺境伯領上空をナオは行く。
ごく普通の定期パトロールと申告してある。
しかし、ナオが此処にいる本当の理由は他にあった…。
不穏な情報を入手したのだ。
…シュバルツの残党が北辺へ向かっている…
ヴィントやアルタイの裏社会に張られたナオの情報網に、
微かなさざ波のようにその話は聞こえて来た。
…シュバルツの中でも最も狂信的な一団がニナとその子を欲しがっている…
恐れていた事が少しづつ、確実に水嵩を増している。
…わたしだけでは防ぎ切れないかも知れない…
…側にいてやりたい…
だが、内戦の危機を孕む首都を長期間空けることは出来ない。
用が済んだら直ぐに戻らなければ…。
…いままで五柱として訪ねることは避けていたけれど、もう限界…
ナオはニナに五柱の四として警告するつもりで首都を後にしたのだった。
しかし、警告を発した後どうしたら良いのかナオにも全く判らなかった。
…ニナとセルゲイが身を寄せることが出来る処なんてエアル中探したって…
堂々巡りだった。
…誰もあのふたりを守るために動く事が出来ない…
…誰もあのふたりをかくまってやる事が出来ない…
北辺の空を一直線に飛びながらナオの心は蛇行し続け何処にも辿り着けなかった。
…ズキッ!!…
心乱れるナオに追い打ちをかけるような衝撃が走った。
…いま誰かがローブを物質化(マテリアライズ)した!?…
高次物質フィールドが展開される際に発生する鋭い棘のような感覚。
ほんの微かなその気配を、鋭敏なナオは万象の中から選り分ける。
…誰だ?…
それは急速に接近して来た。
…速い!…
ナオの飛行速度は決して遅くはないはずだ。
それを易々と追い上げて来る。
…洒落じゃないわ!本気ッ!…
誰だか確かめるのが怖かった。
アルタイが条約機構の管理下にあるいま、
この北辺に展開出来るオトメは王のマイスターでは有り得ないからだ。
…五柱!…
ひとたび向き合えばたとえ誰であっても容赦しない覚悟が要る。
ナオは先ほどまでの大きく乱れた心を切断した。
感情の動きを凍結し、状況に即応する戦闘機械へと瞬時に移行した。
…高度を取れ!少しでも有利に占位しろ…
水平飛行から全力上昇へ。
高度を取って上から相手を確認する。
その光は先ほどまでナオが飛行していた空域を切り裂くように迫って来た。
…シズルさん!…
最も恐れていた相手だった。
…意図を確認するか?…
しかし、もうその必要は無いようだ。
シズルの接近速度は問答無用の最大戦闘速度だったから。
ナオは太陽を背に上空で反転。
一気に急降下する。
高次物質フィールド同士の接触による爆発が北辺の上空で炸裂した。
双方の初弾は空中に熱と光となって拡散する。
球体状に雲が蒸発し、その中心部分にふたつの影が対峙していた。
シズルは目を細め、細い毒の糸を吐き出すように静かに話し始めた。
「ナオさん。どないしてこうなったかは、自分の胸に手ェ当てて考えて欲しいわ」
「あらシズルお姉様。わたくしには何のことだかさっぱり…」
ナオが言い終わらないうちに二撃目が放たれる。
シズルのチェインブレイドとナオのワイアスライサーが交錯し、
互いを切り刻もうと必殺の螺旋を描き出す。
再び高次物質の衝突による爆発が起きる。
ふたりは互いのまわりを回るように距離をとり、次の攻撃の機会をうかがった。
「ニナちゃんのこと、黙うてはりましたな?」
「シズルお姉様こそ、審議会には秘密で来たんでしょう?」
「どないですやろ?」
「学園長が悲しみますよー」
「黙りよし!」
三度目の斬撃が交わされた。
ナオが気付いたのは、この時だった。
シズルの攻撃に、本来のキレとトドメを刺そうという鋭さがない。
微かだが意図的に交戦を引き延ばしている匂いがあった。
…時間稼ぎ?…
…陽動かッ!!!…
ナオは見た。
遥か眼下、人の背ほどの地上スレスレの高度を、何者かが超高速で移動している。
一直線に伸びて行く土煙がそれを表していた。
…あの先はッ!!…
それはニナとセルゲイが暮らす館へと突き進んでいる。
ズドッ!
鈍い音がした。
「仕事中、よそ見はあきまへんな」
ナオの鳩尾にシズルの拳が深々と突き刺さった。
ナオの視界は色を失って白く薄れて行く。
空がどこまでもどこまでも白く広がっている。
もう何も見えない。
そして、ナオは落ちた。
…この高さはローブでもキツいかもなあ…
薄れて行く意識の中で人ごとのように思う。
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感想は後で纏めてさせて頂きます。
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