生暖かい高次物質羊水の槽のなかで、ジェイコブズ・シアーズは目覚めた。

…なぜ、風呂で寝ているのだ?…

記憶が混濁している。
自分の皮膚が全く空気に触れていないことに気付くまでに、恐らく20〜30秒ほどかかった。
そして、高次物質羊水が肺の中まで全てを満たしていることに気付くまでには、さらに数秒。
実際の呼吸に問題はないが、本能は溺れることを恐れパニックに陥った。

…ぐはッ…

身体が空気を求めて喘ぎ、心拍数を上げる。
休眠槽での覚醒に伴って、最も多い事故のパターンである。

…落ち着け!息は苦しくない!普通に呼吸は出来る!…

意識混濁から完全覚醒までの数分間が危険なのだ。
ジェイコブズは本能に逆らって見事に高次物質羊水を深呼吸した。

…ゆっくり、ゆっくり…
…そら、もう怖くないぞ…

子どもに言い聞かせるように自らの深い意識層に向かって語りかける。
重力を感じない槽の中で、手足を伸ばして脱力することに成功した。
気持ちがよかった。
そして、この後に来るでろう、急速な記憶のフラシュバックに備えた。

何度目かの休眠からの覚醒。
300年前の大戦争以来、この植民惑星の歴史を飛び石のように生きて来た。
意識のバランスが整うまでの間、
その記憶の洪水が無秩序に荒れ狂うのに任せる他ない。

…名目上の元首であるシアーズ移民団団長については、その地位の廃止を宣言する!…
…ミユ!財団の資産であるお前がなぜ命令に従わない?…
…多数のオルガノン系列の兵器が使用される可能性が…
…オルガノン系のなかでも過去に類を見ない威力を持ちます…
…ハルモニウムと呼ばれる…
…フミ!我がオトメよ。汝の力を解放す…
…おまえが水晶の姫なのか?『わしじゃ悪いのか?』…
…乙式制限付き高次物質化能力者の専門教育機関が必要と考える…
…フミの娘は、ハルモニウムが開けた時空の狭間の向こうへ逃がす他ない…

大丈夫とは言い難い肉体年齢に達してるジェイコブズは、
今回の覚醒が最後になるだろうことを思い知った。

…これ以上の負荷には耐えられない…

辛い記憶が彼を痛めつけ、終いには声を上げて泣いた。
無論、高次物質羊水の中では音などしないのだが…。

「閣下はお目覚めか?」

「は!」

「ご自身で覚醒シークェンスの危険領域を乗り切られました」

「それは上々!」

休眠槽管理担当者の肩をポンと叩くと、ジョン・グーリアは管制室を出た。
ナギの暴挙に加担したスミスの一派は、ほぼ壊滅している。
ジェイコブズ様の覚醒の時にスミス一派がいないのはかえって好都合だ。
いまはナギ坊主に感謝したいくらいだった。

…ゴミクズどもを掃除する手間が省けた…
…我らシュバルツが真にお仕えするべきは『黄金の天使』のみである…
…それを世俗の権力者と手を組んでハルモニウムを私欲のために使おうなどと…
…もし生き残っていたとしても、このわしが異端審問にかけてくれようぞ…

グーリアは残忍な笑みを満面に浮かべ、冷たく暗い廊下を歩いて行く。

…アリッサ様、あなたが残されたシアーズの宝は我らが必ずお守りいたします…
…Multiple Intelligential yggdrasil Unitから、我らが『姫』を取り戻すのだ…




        
 
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感想は後で纏めてさせて頂きます。

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