ヴィント王宮の朝は早い。
女王とそのオトメが夜明け前には起き、
寝室の隣の小さいキッチンで朝食を自分たちで作り始めるから…。
調理中は鼻歌が出ることはあってもあまりおしゃべりはしない。
窓際の小さなテーブルにクロスを掛け、3人分の量を盛りつける。
女官長が来るからだ。
「おっはようございまあーーーーす!」
「おはようごさいます。アオイさん」
「おはよう。アオイ」
女官長は今朝もご機嫌だったが、テーブルの上の料理を見て少しだけ不満そうに言った。
「きょうも炒り卵とハムですかア〜?」
「文句を言うなッ。食べるだけの癖して」
「食べ物に文句を言うと罰が当たるって…」
「バッチャが言ってた」
「バッチャが言ってた」
「バッチャが言ってた」
3人の声がぴったり重なって朝の食卓にひとしきり大きな笑い声が響く。
女王とその側近の朝食としてはきわめて簡素な食事をあっという間に平らげると、
アオイがその日の予定を確認する。
30分単位で夜までがっちりスケジュールが詰まっていた。
いつものことである。
「了解じゃ」
マシロはさも当然のように了承し、自分からもいくつか提案をする。
「御意…」
そして、早朝ミーティングは終了。
後は3人で洗い物を片付けるだけだった…。
ところが、今朝はアリカの様子が少し違う。
話があるのに話すかどうか迷っている顔だった。
この顔をする時は、
決まってあまり良くないニュースが彼女の情報網にもたらされていることが多い。
「マスター。ちょっといいですか?」
「マシロでいい」
「じゃあ、マシロちゃん」
アリカは真剣な顔で続けた。
「ニナちゃんに赤ちゃんが出来たらしいの…」
「まことか?」
「うん、確かなスジからだから」
「もう間もなく生まれるみたい」
「エエ?!」
「身籠った事を必死に隠していたらしいの」
アリカの情報網はいまや西方諸国を超え世界の隅々へと伸びていた。
ミユ、ミドリ、舞、命と通常のオトメのネットワークからは離れた独自の人脈がある。
故郷のバッチャに世話になったという怪しげな連中もいる。
それは時によってはエアリーズ諜報部を凌ぐことさえあった。
「本当はとっても嬉しいんだ。踊りだしたいくらい」
「飛んでいって抱きしめてあげたい」
アリカは立ち上がり自分の身体を抱きしめるようにした。
「でも…」
マシロにはアリカが思い悩んでいることのあらましがわかった。
ニナとその子は世界中から付け狙われる争いのタネとなるだろう。
…ニナが必死に隠したのも無理はない……
マシロを不当な王として追い落とそうとする者は未だに多い。
その手の輩にとってヴィントの王家の正当な血筋の子は涎が出るほど欲しいだろう。
誰かがニナを守らなければならない。
だが、ニナとセルゲイは流刑の身。
王のマイスターでは警護はままならない。
ましてそれが当のヴィントのマイスターであればなおさらだ。
しかし、マシロはこともなげに言った。
「行って連れてくればよいではないか?あのふたりを住まわせるくらいの場所はあるぞ」
「生まれてくる子はヴィントの正当な後継者じゃ!ここ住まうことはおかしくなかろう」
アリカは一瞬、信じられないという顔をしてから、昔のような輝く笑顔になった。
が、しかし、またすぐに冷静なマイスターの表情に戻った。
マシロの申し出は本当は涙が出るほど嬉しかった。
けれど、それは出来ない。
「やっぱり無理だよ。マシロちゃん」
「いくら何でも火種が大きすぎる」
「あの戦争から5年しかたっていないんだよ」
「ヴィントの人たちがニナちゃんをどう思うか…」
「はっはっははっはっは!アリカ!いつからおまえそんなに諦めが良くなったのじゃ」
「諦めないのだけが取り柄ではなかったのか?」
もう一度アリカの顔がぱっと輝いた。
「じゃあ本当に」
「妾は二度は言わん」
アリカは背筋をピシッと伸ばして叫んだ。
「イエス!マスター」
エアリーズ共和国大統領府では、諜報担当オトメが大統領執務室に入った。
「ニナ・ウォンの懐妊は間違いないようです」
「しかも、もう出産間近のようで」
チエ・ハラードは目を細め複雑な表情でユキノに報告した。
「ありがとうハラード大尉」
報告を受けたユキノもまた、ため息を吐く。
その時、大統領執務室にいるもうひとりの人物が場違いなくらいゆったりと意見を述べた。
「こまったとになりましたなあ」
「うちらとしてもこのまま黙っていることはもう難しおすな」
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感想は後で纏めてさせて頂きます。
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