愛する事が罪ならば私はもうとっくに罪人よ、聖。 今だってそう。 貴方の無意識の言動に、鼓動がけたたましく反応して巧く息さえつけないのに。 彼女の前にコーヒーの入ったカップを置く。 どうか震える手に気付かないで。 「どうぞ」 出来るだけ平静を装い、カップから手を離す。 軽い安堵から短い溜め息を吐いた。 「蓉子」 それなのに。 カップから離れた手はすぐさま彼女のそれに掴まれ自由を失った。 「…っ」 全身の熱が彼女と唯一繋がっている右手に集中する。 そこだけが血液さえも沸騰しそうな位、熱い。 視線を彼女に移すと、見事に彼女の蒼い瞳とかち合った。 …見なければ良かったと思う頃には絶対的に遅過ぎて。 何故だろう。 泣きそうになるのを必死で堪えた。 結局どれだけ自らを否定しても彼女への想いの深さをこういう形で思い知らされる。 「離して」 「…」 「聖?」 彼女は無言だった。 そして何も言わずに握る手に力を籠めてくる。 俯いた顔はそのままに。 「聖?どうしたのよ」 その手から何かが伝わった訳ではないけれど、彼女は泣いている。 漠然とそう思った。こんな事で伝わる訳などない。 解っている。 しかしだからと言って言葉に出して伝える事など出来る訳がない。 口にしたら最後。 もう二度と彼女に触れる事は出来ない。 「……はぁ」 「…え?」 「何でも無いよ。驚いた?」 彼女の片手は束縛しておくものではない。 ましてや自分みたいに一人に固執してしまう様な相手に掴まれておくべきものでは無い。 「ん。美味しい。同じインスタントなのに何でこうも味が変わるかな」 「聖」 「私が煎れてもこんな深みは出ないのになぁ」 「聖」 コーヒーの匂いの中、段々と強くなるシャンプーの匂い。 「…っ!?」 「聖…!」 目眩。 巧く呼吸さえ出来無い。 息苦しい。 頭に回された腕は微かに震えていた。握られた手が遠退いた。 それだけで彼女がどこかへ行ってしまいそうで怖かった。 気がついたら彼女を抱きしめていた。 一連の行動に意識は無かった。 彼女に嫌われる事、拒絶される事が怖くない訳では決してない。 けれど自分の知らないところで寂しさに震え、1人で傷ついていく様を見る方がよっぽど辛かった。 自分が犠牲になったっていい。 この想いが受け入れて貰えないのならそれでもいい。 ただもう彼女が遠くにいってしまう事だけは避けたかった。 「聖……私…」 「蓉子」 名を刻む唇が動くのを確認する前に、自分の背中に温かい腕が回されたのが解った。 少しばかり窮屈なくらい、強く抱きしめられたと言う事を認識するまでに数秒を要した。 自分は彼女に抱き締められている。 お互いの心音が混ざり合い、その音を大きくしていく中、 時刻を告げるチャイムの音はとても遠くに感じられた。愛する事は罪なの?蓉子。 ならばどんな罰でもうけよう。 だからお願い。 貴方を愛してしまった事を許して。 彼女の心音が体中に響く。 それがとても心地良く、そして逆に落ち着かなかった。 鼻腔を掠める香りと、愛おしいくらいの温もりと。 気を抜けば簡単に落ちてしまいそうな理性との狭間で、決して言うつもりでは無かった言葉がついて出る。 「私は蓉子が好き」 自ら禁忌とし、頑なに押しとどめていた想いは彼女の温かさに脆くも溶けた。 「…せい?」 「ずっと蓉子が好きだった」好きの意味を彼女はしっかり認識しているのだろうか。 にわかに信じられずにいた自分を不安がってか、胸元から随分とか細い声が聞こえてきた。 「…よ…うこ?」 普段の彼女なら、らしく無いな、と思う。 けれど本当は誰よりも繊細な事も知っている。 己の弱さを軽い笑顔の下に器用に隠し、そしてどこかで声も出さずに泣いている。 佐藤聖はそういう人だ。 「私も好きよ、聖」 抱き締められた身体を少しだけ離し、見下ろす様に彼女を伺う。 彼女はさして驚きもせず、寧ろ疑いの眼で自分を見ていた。 「…え……?」 「何よ」 「…今…なんて?」 「…何度言わせる気?」 自分の頬に再び熱が籠もるのが解る。 それでも 「私は貴方が好き。そう言ったのよ、聖」 伝えたいこの想いが僅かでも貴方に届くなら。「……好き…ってさ」 確認するのは怖かった。 けれどこのまま不安を残しておく方が尚更怖かった。 彼女は以前にも好きだと言ってくれた事がある。 自分の弱さをも好きだと、彼女はそう言った。 けれどそこに友愛以外の何かがあったとは思えなかった。 少なくとも自分にはそこまで考える余裕も無かったのだが。 「蓉子…私が言った好きって言うのは友達としてじゃないのよ?それ解ってる?」 「ええ」 「…」 「だって私もそういう意味で言ったんじゃ無いもの」 チャイムの音はどこまでも遠くて。 自らの鼓動は恐ろしい程五月蠅くて。 「じゃあ!!」 バンッと机を強く叩く。 多分少し機嫌が悪かったのだと、そう思う。 「キスしてもいいの!?それ以上の事は!?蓉子に私とそんな事が出来るの!?」 響き渡った声は壁や天井を揺らし、そして消えた。 -------------------------------------------------- 続きます。 戻る