「…」
ほぼ無意味に走るシャーペン。
自分が走らせていると言うよりは、これの走りに引きずられているような、無意味な行為。
白紙は自らの文字で埋まる。
しかしただそれだけ。
頭に残らないのならこれは意味が無いのだ。
「ふう…」
「疲れた?少し休憩すれば?お茶でも入れるよ」
挨拶を交わしてからずっと窓の外を眺めていた彼女は、
そう言うと椅子から腰をあげ、お茶の準備を始めた。
「蓉子はオレンジペコ?」
「聖と同じものでいいわ」
長い間共にこの館に居たのだ。
お気に入りの紅茶の銘柄くらい覚えていてもおかしくは無いだろう。
しかしそんな単純な事でも、自分を知って貰えた様で嬉しかった。
「私が飲んでたのブラックコーヒーよ?」
「じゃあそれでいいわ。有り難う」
手間暇の事を考えなかったと言えば嘘になるが、
理由の大部分は、ただ同じ場所、同じ時間に同じものを飲みたかったから。
こんな幼稚な考えをみんなは笑うだろうか。
紅薔薇様と詠われた自分が、こんな馬鹿げた事で喜んでいると知ったらみんなは呆れるだろうか。
けれどそれで構わなかった。
彼女の前でまで自らが作り上げた“完璧な紅薔薇様”で居る必要は無い。
彼女は自分の欠点も何も知っているのだ。
そして何より、彼女には全てを見て貰いたい。
全てを解って貰いたい。
そして出来る事なら…
(…何を)
吐いて出た溜め息は思っていたより大きかった。
栞とのたった二人だけの世界は呆気なく崩壊し、
きっともう自分の生きていける場所など無いとそう思っていた。
それなのに、栞のものとはまた違う、同じ様に温かい手は
暗闇に堕ちていく自分を決して離さないでいてくれた。
傷つく事を恐れずに、熱が奪われていくのも厭わずに、ずっと片手を握り締めて。
いつの間にか暗闇から青空の下に自分は居て。
当たり前の様に思っていた事は彼女の片手に導かれたからこそ存在しているのだというのに、
解っていながら今の今まで素知らぬ顔をして。
愛すれば傷つけると。
だからこそこの想いを打ち明けてはならないと。
でも本当は…
「私帰るわ。コーヒーご馳走様」
「えっ」
気づけばシャーペンの音は止んでいた。
広げられていたノートや参考書も既に鞄に仕舞われた後だった。
「もう帰るの?」
「聖はまだ帰らないの?」
「……もう少しだけ居ない?」
「…」
自分でもらしくない事を言ったと思う。
彼女もまさかこんな台詞をかけられるとは思っていなかったのだろう。
珍しく驚きを露わにしていた。
「…」
「…」
彼女はすっと椅子から立ち上がると、二人分のカップを手に取った。
片づける気だろうか。
「よう…」
「紅茶でも飲もうかと思って。聖は何飲む?」
そう言って見せた顔は華やかで美しくて、しかしそれでいてどこか可愛らしさのある笑顔だった。
--------------------------------------------------
続きます。
戻る