恋をする事と“苦しい”と言う形容詞が直結しているのは何故か。 自分以外誰も居ない薔薇の館で一人ぼんやりとそんな事を考える。 一年生達は掃除に委員会、と言ったところか。 それでなくとも今日は早く来たのだから誰も居ないのも頷けた。 (…) 自分一人と言うこともあるし、自分の飲みたいものを飲もう。 インスタントのコーヒーを適当に作り、お気に入りとなった窓辺の椅子に腰掛けた。 遠くの方から活気溢れる声が聞こえる。 吹奏楽部の演奏も、やはり何処か遠くから耳に届く。 楽隠居となった今、彼女はここに来るだろうか。 しかし自分と違って、明確に将来を見据えている彼女の事だ。 既に家に帰り大好きな勉学に勤しんでいるかも知れない。 そちらの可能性の方がよっぽど現実味を帯びていた。
急いで館に向かう必要はもう無い。 妹達にその任務を全て託し、 一足先に隠居生活となった自分には最早、館に行ってもする事が無い。 さっさと家に帰って受験勉強をするのが、今自分に必要とされている時間の使い方。 (…) 解っている。 それはもう解りきっている事だけれど。 館にもう未練は無いけれど。 何となく後ろ髪を引かれる思いで中々帰路につく事が出来なかった。 いつか彼女と言い争ったベンチの前を通る。 まるで昨日の事の様に色鮮やかに蘇る記憶。 あの頃はまだまだ子供だった。 彼女も、そして自分も。 泣いて欲しくなかった。 悲しんで欲しくなかった。 傷ついて欲しくなかった。 どんなに綺麗事を並べたって、結局はただそれだけだった。 ああする事が最良だったかは未だに解らない。 悔いるべき点は幾つもある。 ただ相手が外へ外へ向かおうとする気持ちとは裏腹に、彼女の想いは内へ向き過ぎていた。 これだけ沢山の人間が存在する広い世界で、彼女はたった二人だけの世界を作ろうとしていた。 あんなに脆く危ない世界に彼女だけを置いておく事など自分には出来なかった。 だから結局自分は、今も昔も変わらずにこうしていただろう。 いや、多分こうする事しか出来なかった。
(おかしいなぁ…こんな時間になっても誰一人来ないなんて…) 幾ら何だって遅すぎる。 自分がここに来てからもう一時間は経とうかとしていた。 (この分だと今日は休みか?) 特に急ぎの仕事も無い週末なら、たまの休みをとったのかも知れない。 まぁそうだとしても、特に誰かに用がある訳でも無いのだ。 強いて言うなら会いたい人にも会議の有る無しは関係ない。 (寒…) 流石にずっと窓を開け放っておくには、真冬の夕方は寒過ぎた。 カップに注いだコーヒーを飲み干して、窓を閉めようと手を掛けた、丁度その時。 「あ。」 館を目指して歩いてくる一人の生徒が目に入った。 心臓が一つ、大きく高鳴った。
今日の会議は休みだと祥子が言っていた。 週末なんだし、たまの休みは必要だろう。 でもだからこそ、自分が向かおうとしている場所には行く意味が無い事も重々承知している。 では何故自分はその場所へ歩いているのだろう。 (…) 微かな期待、か。 (……江利子ならまだしも…ってそれもないか) まぁいい。 どちらにせよ今こんな状態で帰宅した所で勉強など手につく筈が無いのだ。 紅茶の一杯でも飲んで気持ちを切り替えよう。 何だったら少しここに残って勉強して行ったっていい。 誰もいない館は静かだから。 相変わらずギシギシと音を立てる階段を上りビスケットの扉を開けた。 心臓が止まるかと思った。
「ごきげんよう」 ちょっと卑怯かな、とも思ったが、 先にここへ来る事を知っていた分、余裕の笑みで彼女を迎える事が出来た。 前もって来る事を知らないで、いきなり開いた扉の向こうに彼女が立っていたら、 それはそれは驚いたに違いない。 それこそ今まさに扉を開けたまま立ち尽くしている彼女の様に。 「ごきげんよう。まさか貴方がいるとは思わなかったわ」 流石、完全無欠の紅薔薇さまと呼ばれた人だけある。 驚きなどそれこそ一時。 軽い憎まれ口を叩いて浮かべられた笑顔は、もういつもの顔だった。
一瞬目を疑った。 それでなくても現役時代からサボリの常習犯だった彼女。 そんな人が何故今ここに? 「蓉子こそどうしたの?家に帰って受験勉強に精を出してる頃かと思ってた」 「気分転換も兼ねて、ここで少しやって行こうと思ってたのだけど…」 でも… 「あぁ、邪魔はしないから。どうぞどうぞ」 「…有り難う」 相変わらずバカね。 貴方が居たら余計に集中出来ないじゃない。
-------------------------------------------------- 言い訳。 リハビリ作。 気分新たにマリみてで。 続きます。 次へ 戻る